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ブロック

 写真のこのブロックは通勤途上の道の脇にあるが,永年特に気に掛けることがなかった。
 晴れた昼間にここを通りかかったことで,いつもの朝とは光の当たる方向が異なっていたためか,このときはこれが新鮮な塊として眼に飛び込んできた。
 そこは国道の上をJRが跨いでいるところで,この塊は橋桁を支える橋脚の手前にあって車の衝突をガードするために設けられたブロックのようだ。上部には注意を促すランプも載せている。
 ガード用のブロックなら頑丈であれば十分なはずだが,このブロックは滑らかな曲線部分を伴った無駄のない形でそこに収まっている。しかも,その表面は整然と並べられた同じ大きさの石で覆われ,オブジェとして存在しているように見える。
 ものが塊として見える状態,工事用の膜ですっぽり覆われた建物などもそうだが,属性を捨てさって空間の一部となった状態にはたいへん魅力を感じる。物や状態にいつも意味を求めてしまうヒトの有り様から意識が解放されるからだろうか。

| 「亜空間」の現象の周辺 | 2012.11.24(Sat)19:18 | Comments4 | Trackbacks0 | 編集 |

コメント:

おもしろいですね。梱包した橋などのクリストの作品を連想しました。「属性を捨てさって空間の一部となる」というのは、有用性を失って「何の役にも立たないもの」として「ただ存在する」というところへ行くことかも…と思いました。解放ですね。

2012.11.26(Mon) 07:52 | URL | おくや|編集

まさに解放です。ぼくは,クリストの地球規模の作品も好きですが,初期のオートバイなど包まれた状態が一目で見られる作品に興味を覚えます。その塊が存在を通り越して,状況によっては,負の空間と見えることがあるからです。

2012.11.26(Mon) 18:48 | URL | くだ|編集

以前、雑誌を梱包したクリストの作品を見たことがあります。半透明のビニールのようなものでグラフ雑誌が包んであり、梱包材を透かして、雑誌の表紙がおぼろげに見えるのです。何の雑誌なのか知りたくて、食い入るようよう覗いていたのを思い出します。たしかにもう一つの世界を覗き込んでいるような感じでした。また、そこに「あちら側」の空間が出現していると考えると、なるほど、それは「負の空間」かも知れませんね。くださんの仰っている「負の空間」とはどのようなものでしょう?

2012.11.27(Tue) 09:33 | URL | おくや|編集

空間は広がりそのもので特定の形は本来無いのでしょうが,部屋の中に居ると部屋の形をした空間を,道路工事で掘られた穴にはその穴の形で地表に食パンの頭のように少しはみ出した空間を感じることがあります。
そういった空間が感じられる場で,無機質な塊がそこに置かれているとき,空間のほうに実体を見てしまうため,物質である塊が鋳型の空洞のように思えてしまいます。
適確かどうかは分かりませんが,このことを「負の空間」と呼びました。
HP「亜空間」(http://www.akuukan.com/)の「日記」(2006年9月27日)「兵馬俑」でこのことに触れていますので,参考にしてください。

2012.11.29(Thu) 13:03 | URL | くだ|編集

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