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写真の顔

 昔から,自分の写真を撮られるのは好きではなかったし,顔をさらすことはなるべく避けてきたが,フェースブックに登録するためやむなく顔写真を撮ることになった。本人だと辛うじてわかる程度に息子にアレンジを頼み,アンディ・ウォーホル風に仕立ててもらった。
 これがきっかけで,写真に写った自分の顔に関して思い出したことがある。
 中学生の頃,遠足か何かのときカメラクラブの級友が撮ったものが教室の後ろに何十枚も張り出されていて,欲しい写真の横に名前を書いて購入するということがあった。だいたいは本人が写っているものを選んでいたようで,ぼくもよく見て探したが,自分が写っているものは1枚もないと思った。
 ところが,友人が何故ぼくが名前を書かないのかを不思議がって,ぼくが写っているという写真を指さした。それには談笑している3人の男子が写っている。その内の2人は誰かはすぐに分かったが,残りの1人に見覚えがない。これは誰かと聞くと,友人は大げさに驚いたような仕草をして,それがぼくであることを知らせた。
 その人物は斜め前から撮られていて,屈託のない顔でいかにも楽しんでいることが伝わってくるものだった。何人もの友人がこれがぼくに間違いないというので購入したが,いつまでも腑に落ちなかったのを覚えている。
 当時の写真は記念撮影としてとることがほとんどで,スナップ写真を撮ることはまず無く,そのため正面から写したものばかりだった。現在でも,自分の顔を見る機会としては,普通は鏡に映るものか写真に撮られたものになる。鏡に映る自分の顔もたいていは正面からのもので,スナップ写真が増えたといっても正面からのものが多く,意外と本人は自分の横顔や斜めの顔をあまり知らないことになる。
 今,脳裏に自分の横顔や斜めの顔を浮かべてみてほしい。漠然としたものになって,これが自分だというものが現れないのではないだろうか。正面の顔を試してもはっきり思い浮かんでいる感じはしないだろう。同じように家族などの非常に親しい人の顔も,確定できるものとしては思い出せない。ところが,永らく会っていない友人などの顔ははっきり固定したものとして思い出せる。親しい人とは対照的だ。
 以上のことは,夢で現れる親しい人の顔が確認できないままその人だと分かることと似ている。認識できているということとそれが何かということとの間には,随分隔たりがあると思った。

| 「亜空間」の現象の周辺 | 2012.10.15(Mon)18:54 | Comments0 | Trackbacks0 | 編集 |

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