fc2ブログ

視力

 子供の頃,視力検査で特に注意された覚えもないので,たぶん普通かよく見えるほうだったのだろう。本はまったくと言っていいほど読まなかったし,テレビや漫画もそれほどのめり込むほうではなかったので,目が悪くならなかったのは当然のことかもしれない。
 ところが,受験勉強でそれまでと一変して本と向き合うことになり,これで視力を落としてしまった。受験前の検診では,視力が左右とも0.4まで下がっていて,近視用の眼鏡を掛けるよう勧められたが,仮性近視は治そうと思えば治ると何故か信じていて,そのまま過ごすことにした。
 大学に入ると,持論を実践するために,講義のときは必ずいちばん後ろの座席を選んだ。これは遠くの黒板の文字を読むためで,小さ過ぎて見にくいときは,まず何とか読もうと努力し,どうしても分からないときは友達にノートを写させてもらうようなことをしていた。こんなやり方を続けていたら,1年も経たない内に視力が1.5に戻っていた。言われるままに眼鏡を掛けていたら快復することはあり得なかっただろうと思う。
 その後,文字を追う仕事に就き,パソコンのプログラミングにはまったことなどもあって,視力は年とともに低下したが,それでも悪いときで0.5で,先日の健康診断では左右とも0.8もあった。
 誕生してからはるかに2万日は過ぎているが,まだ老眼鏡の世話にはなっていない。近視用の眼鏡は10年ほど前に作ったが,洋画の字幕を見るのが目的でそれ以外では美術館に行くときくらいにしか使わない。
 先日,何とはなしにその近視用の眼鏡を掛けてみて驚いた。毎日見ている観葉植物がいつもとは違ってものすごく立体的で,枝と枝,葉と葉の間に深い空間を感じる。そういえば家具や置物なども普段よりずっと奥行きがあるように見える。視力のいい人はこういう見え方をしているのかと少し羨ましくなった。だが,しばらく眼鏡を掛けたままで過ごすと,最初の感動はどこかへ行ってしまい,それが通常の様子のように見えてくる。3D映画で,飛び出す映像に感激して目を見張るのも限られたシーンのときだけで,特にストーリーにのめり込んでいると立体映像であることをすっかり忘れてしまうのと似ている。
 誰でも自分の感覚器官を通じてその人なりの世界を構築していて,それを通して生活やコミュニケーションが成り立っている。作り上げた世界を他人と比較することは出来ないが,眼鏡や3D映画のことを考えると,見え方は視力以前の問題のように思える。

| 「亜空間」の現象の周辺 | 2012.07.22(Sun)11:33 | Comments0 | Trackbacks0 | 編集 |

コメント:

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック:

トラックバック URL
http://anotobira.blog.fc2.com/tb.php/70-c9b1c0d6

| main |

HOME
プロフィール

秋岡久太(くだ)

Author:秋岡久太(くだ)
亜空間
ホームページ:『亜空間』

亜空間ー亜の立体展

亜空間迷路アート

*

検索フォーム